予兆の朝
朝、けたたましいアラームの音で目が覚めた。
重たいまぶたを開ける。
(準備しないと…。でもなんか、体が重い…おなかも痛い…。)
もともと朝が弱い私は、意識が覚醒するまで時間がかかる。それに加えて、ここ1〜2ヶ月くらい不眠症みたいになっていた。なかなか眠れず、明け方に2〜3時間寝落ちして、起きてもダルい感じ。
(はあ、…しんど。)
のそのそと体を起こして、寝室を出る。
前の会社を辞めてから、全く別の業界に飛び込むために、私は職業訓練の学校に通い始めた。
少しずつ出来ることが増えていくのは楽しかったけれど、他人とぎゅうぎゅう詰めで勉強するのが苦手な私には、だんだんと苦痛になってきていた。
おまけに不眠の反動で、昼には猛烈な眠気に襲われる。
洗面台の前に立ち、歯を磨く。
眠たそうな目の下には、もうずいぶん前から隈が居座っている。
恥ずかしい話だけど、ここ最近頭のあちこちに円形脱毛ができていた。
確かに悩みやすいタイプではあるけど、ハゲるほどとは…。
髪を濡らしてセットしながら、必死でハゲを隠した。
口をゆすいで、軽くパンを摘む。
ほんとはお米のほうが好きなのだけれど、前日にお弁当の準備が出来なかった日は、やむを得ずこうした買ったものを食べる。
先週面接を受けるために連日書類を作っていて、まともに料理できなかった。あかんなあ…と思いつつも、一人暮らしなんだから私がやらなきゃあ誰もやってくれない。
もそもそとパンを食べながら、着替えを済ませる。
あとは化粧して…、と思っていると下腹部のあたりがぐしぃっと痛くなった。
(ああもう…やだなあ…)
私はトイレに入った。
先月までは順調に来ていた生理が、今月はなんだかおかしいのだ。
前回の生理から1週間と経たないうちに、次の生理が始まった。最初は
「終わったと思ってたけど、前回のがまだ続いてんのかな?」
くらいに思っていた。まあ、そのうち終わるやろ。生理痛もそんなないし!と軽く考えていた。
だけど、その生理は今日で2週間になろうかというのに、一向に終わらない。
こんなに長く続くのは初めてだ。
しかも、だんだんと生理痛がひどくなってきていた。鈍痛が常にあり、時々刺すような痛みを感じる。トイレの回数も増えていた。
(さすがにマズいかな…)
前の会社で働いていたころも、生理痛がひどくて動けなくなるときがあった。
あのときは忙しさにかまけて見て見ぬ振りをしていたけれど、やっぱり一度病院で診てもらったほうがいいのかもしれない。
べったりついた赤い血をトイレットペーパーごと見送って、トイレを出た。一瞬、ふらっとしたのが自分でわかる。
(これは、マジでマズいかも…。)
私はその場に座り込んだ。めまいとともに、にぶい頭痛が響いてくる。胃の底からせり上がってくるものを感じた。やばい。
トイレに逆戻りして、少し吐いた。
やっと落ち着いたころには、もう学校には遅刻確定の時間だった。
(もう今日は休んで病院行こ…)
手短に欠席のメールを送る。
もしかしたら失礼な文面だったかもしれない。ごめんなさい、先生。でも今日は無理だわ。
口をゆすいで、水を飲んだ。
なんとか病院にたどり着きさえすれば…。歩いて15分のところに病院がある。この近さがありがたい。
私は意を決してドアノブを掴んだ。
初、検査、病院にて
平日と言えど、病院はひとでごった返していた。
診察受付を済ませるまでに20分、診察科で名前を呼ばれるまでなんと2時間以上もかかった。病院にお勤めの方はさぞ忙しかろう、と問診票を書きながら恐れ多くも同情する。
長い長い待ち時間で、私の痛みはどんどん増していた。こんなことなら痛み止めを飲んでくるんだった…。
でも、獰猛なほどの眠気が痛みをごまかしてくれた。廊下の長椅子で座ったままほんの少し眠れば、その間に時が過ぎていったから。
「お待たせしましたー」
明るい看護師さんの声で目を覚ました。案内されるまま診察室へ入ると、30歳くらいの男性のお医者様が私の問診票を眺めていらした。
今の症状や生理の状況などをあらかたお話しして、先生がおっしゃった。
「ちょっとエコーで見てみましょう」
「あ、はい。お願いいたします」
軽くそう言ったけれど、私が思っていたエコーとは違った。
診察台へ、と案内された先には、SM器具かと見紛う形状の椅子が鎮座していた。
下着まで脱いでそこへ座ってください、と女性の看護師さんがおっしゃりながら、何やら機材の準備をしてらっしゃる。
(そんな簡単に言いますけど…)
戸惑いつつ指示通りにし、かなり間抜けな格好になった私はその椅子に座らされた。
ピッ、という音とともに、その椅子は私の脚を開きながらゆっくり倒れ、おしりの部分が外れる。寝込んで開脚するような形になった私の腹の上を、ピンク色のカーテンが横切った。
「じゃあ内診とエコーしますねー」
カーテンの向こうで先程の先生の声がしたと思うと、私のなかをゴム手袋が押し広げた。思わず力を込めてしまう。
「力抜いてくださいねー」
続いて何かが入ってきて、なかを開いたままにした。当然ながら視線を感じ、私は思わず顔を手で覆った。これなんて拷問ですか。行為じゃあないのに、こんな格好で…!
いや、見られることより細胞採集と内診のほうがよほど拷問だった。
このふたつがかなり痛くて、思わず脚が震えた。
「ここ痛くないですか?」
「いッ、痛いです!!!!」
「ですよねえ」
「〜ッ!!!!!!!」
「もうちょっとなんで、我慢してくださいねー」
これが世に聞く『痛かったら手挙げてくださいねー』か…ッ!
と、そんなことを考えて痛みをなんとかごまかし、検査は終わった。5分程度だったけれど、私は額に脂汗をかいていた。
へとへとで再び診察室へ戻ると、PCの画面を見つめてカタカタと入力していた先生がこちらへ向き直った。
「今簡単に見てみただけなので、もう少し検査が必要ですが…」
なんだか嫌な予感がする。
私が黙って見つめ返すと、先生は落ち着いた口調で静かにおっしゃった。
「右の卵巣に、腫瘍ができてます」
「卵巣腫瘍のほとんどが良性です」…ほとんどって?
ざっくりと伺った説明によると、ありふれていると言っても良いほど一般的なものらしかった。
卵巣腫瘍(らんそうしゅよう)、卵巣嚢胞(らんそうのうほう)というもので、卵巣が腫れたり水や血液が溜まってしまう病気だそう。
ごく初期なら薬で対応できたり、生理を繰り返すうちに消滅したりするらしいが、基本的には手術で確認・摘出するとのこと。
「まあ、ほとんどが良性で手術すれば問題ありませんし、妊娠も十分可能です」
先生の声が、ひどく遠くに聞こえた。
とにかく死ぬような病気ではない、ということは理解した。けれど、手術となればこれからどうなる?お金は?訓練は?転職は?
様々な不安が一気に頭のなかを支配する。いやでも、そんなことを今考えても出来ることはない。なんとか乗り越えなくては…、この状況を…。
「生理が終わったら、精密検査をしましょう」
「はい…」
検査の日程を取り付けて、私は診察室を後にした。背中に「お大事にー」の声を受けたけれど、小さく会釈を返すので精一杯だった。
がらん、とした廊下をひとり歩く。
どうやら私が今日の最後の患者だったらしい。まだ青の残る空を貫くように、夕陽に変わりつつある太陽の光が窓から私を照らした。
悪性の腫瘍は約1割程度だと、先生はおっしゃっていた。
じくじくと痛む下腹部を手でさする。
(私のこれは、9割の良性かな。それとも…)
得体の知れない何かが、背中をねっとりと撫でているような錯覚を覚えた。死ぬほどじゃあない、と頭ではわかっているのに、えも言われぬ恐怖を感じる。
自分がどちらに振り分けられるのかなんてわからない。1割のほうに入らない保証なんてない。
いや、こうして悪いほうへ考えすぎるのは、私の悪いくせだ。きっと精密検査すれば、意外と「なんてことなかった」と笑い話になる。
私はわざと大股で、風を切るようにして病院をあとにした。
朝が遠い
家に帰ってから、とりあえず母と彼氏には連絡した。
母はさすが医療従事者だけあって、落ち着いたものだった。症状と診断を聞いて、必要なアレコレを指示した。お金の心配はいらない、とも。ありがたいことだ。
彼氏のほうは、余命宣告でも受けたかのようにうろたえていた。
「大丈夫なん?心配や…ほんまに大丈夫?」
しか言っていなかったような気がする。検査の結果が出たらまた知らせる約束をした。
ありがたいけれど、心配させて申し訳ない気持ちにもなる。
最低限の連絡を済ませたあとは、かるくおかゆを作ってゆっくり食べた。痛み止めの薬を飲む。
だらりとベッドに転がって、動画を見たり音楽を聞いたりして過ごした。なるべく頭を空っぽにして。
そうこうしているうちに、0時を越えてしまっていた。
携帯をオフにして、明かりを消す。街灯の光がほのかに部屋に届き、しとしとと雨音が響いた。雨が降っているらしい。
眠れないけれど、無理やりまぶたを閉じる。痛み止めを飲んだのに、下腹部が相変わらずじくじくと痛む。
朝までが、ひどく遠い。
手術が必要な病気になるなんて、思ってもみなかった
「よくあるから」「良性なことがほとんどだから」
そう言われても、不安はある
こんなときだけ夜が長い#卵巣腫瘍 #眠れない
Instagramで完治するまで毎日記録を投稿します👇
Jolyne(@jolyne_jojobloger) • Instagram
to be continued➸