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【ジョジョ第6部】エルメェスの「復讐論」

みんな大好きエルメェス・コステロ。彼女の「復讐」のエピソードはあまりにも有名で、その姿に心が震えたジョジョラーも多いはず。

彼女の心と私自身の考えたこと感じたことをここに書き残しておきたくて、これを書きました。

 

※アニメ未放送部分の内容のネタバレになりますのでご注意を。

なお、記事内で使用している画像は、主たる私の文章に対し、従として引用しているものです。

 

 

エルメェスの代名詞とも言えるのが、復讐についてのセリフ。ここにエルメェスのかっこよさが表れていると思います。

 

 

「復讐とは自分の運命にケジメをつけるためにあるッ!」

エルメェスは、殺された姉グロリアの復讐をするために自ら刑務所に入ってきます。惨たらしくグロリアを貶めた犯人を必ず見つけてやる、と。

そしてついに犯人と対峙…。呼び止めようとする徐倫に、エルメェスはこのように話始めます。

エルメェス「あたしはその覚悟をしてきた‼」

『ジョジョの奇妙な冒険part6 ストーンオーシャン』「愛と復讐のキッスその⑥」より引用

犯人を倒してもグロリアは帰ってこない。エルメェス のしたことをグロリアが知ったら、喜びはしないし悲しむだろう。復讐をすることで犯人と同じことをしたことになってしまう。エルメェス 自身も罪を背負うことになる。

そういうことを一切覚悟してきてるんですよ、エルメェスは。

これから先ずっと悲しみと怒りを抱えて生きていくなんてまっぴらだ、そのための罪を背負う覚悟はしているのだと。

  

復讐は自分の運命へのケジメ。エルメェスのその言葉に、徐倫はもう引き留めることはしません。そして仇に何度も何度も拳を叩き込むエルメェス。

全てが終わった頃、エルメェスの目から涙が溢れて…。

 

心優しいエルメェスが、復讐を選ぶまでに一体どれだけ苦悩して自問自答してきたことか。その上で覚悟をしたら迷わない強さ。彼女の心の内を思うと、安易な言葉は失礼だと感じます。

そして終えた後の涙とあのセリフ…。
先程までの鬼気迫る表情から一変、等身大のエルメェスに戻った姿に心が締めつけられます。

あの涙は、決して復讐への後悔などではないでしょう。
憎悪の果ての安堵、虚無、自らの罪への自覚、孤独、言い尽くせぬ悲しみ…そういうものが溢れ出てきたんじゃあないかと思います。

 

エルメェスのエピソードで一番好きな回です。

 

復讐を止めるのは本当に正義か?

ここからは、私なりの解釈をお話ししていきます。

 

あるある展開ですが、復讐に心を燃やす人間に対して、主人公が熱い言葉で止めるシーンがありますよね。

「そんなことをしても、あの子は喜ばない!」

「復讐なんて考えずに幸せに生きることが、自分とあの子のためになる」

「憎しみの連鎖は止めなきゃいけないんだ!」

ってな感じで。

 

私は個人的にはこういうセリフ、正直苦手です。復讐を止める側の言葉を、頭では理解できても全然納得できないし、こういう言葉を放つ気持ちに共感できない。

恨みを捨てて復讐はしない、という選択は自分の怒りをちゃんと消化できてこそだと思うのです。なのに、そういう言葉で怒りすらも封じる形になってしまうように思えて…。

自分にとって本当に大切なものを踏みつけられて、こういうことを言われても、その怒りと悲しみの行き場がないじゃあないですか。

 

自分が復讐者の場合でも、復讐しようとしてる人を目の当たりにした場合も、こういうセリフは全く心に届かないんじゃあないかな。

 

もちろん、この法治国家において、現実の人間に対する暴力は決して許されるものではありません。どんな人物であっても法の裁きを受けるべきで、私刑を許せば社会はどんどん転がり落ちていく。それは歴史が既に証明するところです。

今お話ししている解釈は、あくまで物語上の展開と内心に留まる範囲の心情についてのものであることを強調しておきます。

 

 

 

ジョンガリ・Aの復讐

敵であるジョンガリですが、彼もエルメェスと似た「復讐者」なんですよね。

 

おまえらの血統にとどめを刺すを刺す時
オレの人生はやっと始まるッ!
我が「心」の支えを奪った復讐には
決着をつけなくてはならないッ!!

(第6部ストーンオーシャン16話「面会人その④」より引用)

アニメだとこのシーンがなおさら印象的で、「愛と復讐のキッス」への布石になってるなあと感じました。

 

これ、エルメェスの言う「自分の運命にケジメをつける」と同じことじゃあないかなって私は思うんですよ。
「DIO様のため」ではなく、「我が『心』の支えを奪った復讐」。自分の気持ちに決着をつけるための復讐なのはエルメェスと同じ。私はエルメェスの復讐論に共感しているので、彼のこの言い分にもわかる部分が多いですし、徐倫はともかく承太郎は彼の復讐を受け止めてしかるべきだろうとも思っています。

「敵の生き方をも肯定して描く」というジョジョ全体のポリシーが出ているセリフに感じました。

また、6部のこういうセリフに、キャラたちの人格に加えて荒木先生自身の思想が強く出ているようにも感じます。これに関しては賛否あるでしょうが、私は好きですね。

 

ポルナレフとの比較

エルメェスと同じような立ち位置のキャラとして、3部のポルナレフが挙げられると思います。明るく優しい仲間であり、そして復讐を胸に秘めている…エルメェスとポルナレフはよく似ていますよね。

ふたりの復讐も、やはり共通するところが多いです。

大切なひとを想っての復讐であること、悲しみと怒りを忘れられなかったこと、返り討ちのリスクを冒してでも自ら手を下すこと、復讐を見届けてくれるひとがいること…。

 

ポルナレフの復讐論を決定付けるのは、やはりこのセリフでしょう。

我が名はJ.P.ポルナレフ。

我が妹の魂の名誉のために!

我が友アヴドゥルの心の安らぎのために…

エルメェスより「大切なひとのため」という姿勢が前面に出ているように感じます。これは、3部自体が1部から続く"神話"であることにも起因するのかもしれません。人間の聖なる部分が強調されているという感じ。

 

復讐を思い立った瞬間こそ、「あのひとのため」と思うでしょうが、本当のところは復讐は自分のエゴでしかないです。大切なあのひとの喜びも悲しみも、残された側には知ることはできないのだから。完全に自分のためです。

ポルナレフの気高さが表れている復讐にまつわる言葉は、もちろん心打たれるもの。その上で、「復讐は自分の運命にケジメをつけるためにある」というエルメェスのセリフは、自分のためだと理解した上で至った答えとして、私にとってすごく共感するものがありました。

 

エルメェスの復讐に見る悲しみと希望

復讐は正当なものだ、とまでは思っていません。それでも、捕まって罰を受けるとか、重たい罪の意識を一生背負うとか、返り討ち・相討ちで自分も命を落とすとかいった「復讐することで受ける罪」を覚悟しているなら、他人が止めることはできないと私は思うのです。

「復讐なんて」と言う人間が、エルメェスのこの覚悟を前にどんな言葉を言えるというんだろう…といつも考えてしまいます。

 

 復讐という道を選んだひとに私たちができることは、見守り抱きしめ、その行末を見届けるくらいしかないのかもしれない。
逆に自分が復讐を選んだとき、徐倫のように復讐を見届けて抱きしめてくれるひとさえいれば、罪を償ったあとにまた歩き出せるかもしれない。

そういう悲しさと希望を、エルメェスの復讐から感じました。

 

 

こういう人生観や死生観が特に色濃く描かれているエピソードが多いのが6部の醍醐味だと私は思っています。
今回の記事でお話ししたのは、あくまでも私の目から見た私の感じ方にすぎません。ぜひ原作をご覧になって、自分の『ストーンオーシャン』を感じてください。

 

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to be continued➵